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【韓国記事】[COVER STORY] 魔法のような瞬間_ミュージカル <ゴースト>俳優チュウォン

2020.10.19 MEDIA


こんにちは。ファンクラブ事務局です。

韓国の雑誌、THEATRE PLUSにチュウォンさんのインタビューが掲載されました!
表紙もチュウォンさんとなっております!

以下、記事の翻訳文です。

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魔法のような瞬間
映画とテレビに出ながら7年ぶりにミュージカルの舞台に立つ彼はこのように言う。”ゴースト”ですから。
editor  イ·ミンジョン  photographer  ROBIN  KIM  stylist  キム·ミンジョン  hair  イム·ジョンホ(ブロウ)  makeup  イム·ジョンヒョン
 
 
誰かが演技は「真心のある技術」と表現したことがある。 私はこの言葉が「良い演技とは何か」ということの適切な定義だと思った。チャンチャ麺(=チャンポンとジャージャー麺)のように、真心と技術が半分ずつ盛り込まれている状態。チュウォンという人物を学習するために、かつての作品を振り返りながら、ふとこの言葉が思い浮かんだのは、演技をする彼の顔に技術や真心が全て見えるからだ。彼が不道徳に立ち向かい(ドラマ『カクシタル』)、愛する人を最後まで守り(映画『猟奇的な彼女』やドラマ『アリス』)、障害のある天才医師が奇跡を起こした(ドラマ『グッドドクター』)、「役に立つ役割」を任されて応援するのではない。私たちは世の中の汚くて利己的な悪い奴(ドラマ『製パン王キムタック』)を目撃しながらも、一方では「ああするしかない」と残念に思い、彼を理解しようとしたのではないでしょうか。ある人はチュウォンに「演技の天才」のような修飾語を付けて簡単に記事を完成させるが、彼と少しだけでも話せばチュウォンはすごい努力家だという事実に気づく。 カメラを見つめる時間、インタビューをする長くはない時間にも、彼はすべての状況を理解するために最善を尽くして耳を傾け、姿勢を一度も崩さなかったが、すべての言葉と行動は自分が踏んできた道のように誠実で正直だった。
 
そんな彼がミュージカル『ゴースト』で観客を迎える。映画『ゴースト』の美しいラブストーリーを舞台に上げた作品で、2013年の初演では主役の「サム」役を演じたことがある。『アルターボーイズ』『ギリシャ』『春のめざめ』などで舞台を飛び回っていたチュウォンが2013年にミュージカル『ゴースト』に参加して以来、本当に久しぶりに同じ作品に戻ってきたのだ。たいてい映画とドラマに慣れた俳優が舞台に立つと「裸になったような」緊張感が感じられると告白するが、彼は状況と要素に揺れる理由がないのでむしろ楽だと言う。

 
最近、頑張って働いていらっしゃいますね。2020年に映画(<消防士>)とドラマ(<アリス>)、ミュージカル(<ゴースト>)をやりこなすなんて。
この前まで忙しかったですが、今は私が一番暇なんじゃないですか?(笑)作品が重ならなかったので。
 
このインタビューを終えて<ラジオスター>の収録場に行くと聞きました。<1泊2日>を辞める時、笑いを与えるのが大変だという話をした記憶があります。今は少し楽になりましたか。
いいえ。相変わらず同じように大変です。(笑)幸い、かつてとはバラエティ番組の作り方が変わったような気がします。どんな状況でも面白い部分をキャッチしてくださり、見る方々も瞬間の自然な笑いを好むので今は敢えて何かをしなくても良いんですよ。
 
舞台に立っていた俳優が大衆的なスターになってから再び舞台に立つことは容易ではないでしょう。舞台復帰作として<ゴースト>を選んだ理由は何ですか。
僕がステージに戻ってきた理由は、<ゴースト>だからです。他の公演だったら選んでいたかもしれませんが、きっと悩んだ時間がもう少し長かったでしょう。僕と一緒に過ごした人たちとの良い思い出があったので、公演の提案が来た時は嬉しかったです。もちろん、舞台は完全に自分を現すところであり、NGが出て撮り直すこともできない空間なので、恐怖心もなくはないのですが、僕と一緒にいる人々が僕をカバーしてくれて、失敗しないように作ってくれると思うんですよ。おそらく他の公演だったら「僕がどのように見せなければならないか」「行ってどのように行動しなければならないか」このような悩みがあるはずですが、そんなことはすでに7年前に全部しましたから。少し誇張して言うならば、親戚の家を訪問したように楽です。
 
大体は実家のように楽だと言うのに、親戚の家だなんて新しいですね。
ははは。実家は近すぎるから適当に近い所でですね。
 
本当に久しぶりに訪問した親戚の家になりますね。2013年に初めてこの作品を演じたから7年ぶりですね。舞台が懐かしくなかったですか。
いつも懐かしかったです。(笑)でも、ドラマ、映画、ミュージカルの3つのジャンルをすべて考えた時、僕は学ぶためにまず良い作品にしたいのです。明らかに観客が慣れた作品より新鮮な作品です。僕が映画とドラマを引き続きやらずにこの作品を選んだ理由も僕が興味を持つに値する話だったからです。
 
2013年の<ゴースト>初演を思い出した時、良い思い出はありますか。
当時も僕が久しぶりに公演をする状態でした。最初はちょっとぎこちなかったようです。 確かに僕は舞台に立っていた人だったし、また戻って来たはずなのに、違和感がありました。時間が経つにつれて、自然になり、「そうだ、僕はこうやって生きてきたんだよね。こういうことが楽しかったんだよね」って、すごく浮かれていました。俳優、スタッフとおしゃべりする時間、舞台でミスをしても先輩たちに慰めてもらって、何かで怒ったら周りが大丈夫だと励ましてくれて…。みんなでやっているという感じを確かに受けました。(僕が子犬タイプだから一人より誰かと一緒にするのが好きで。) 面白い事件やエピソードがあるというよりは公演の雰囲気を思い出しただけでもただ良かったです。
 
同じ作品でも、時間が経つと理解できなかった場面が理解できたり、見えなかった部分が目に入ったりします。この作品を読み返して研究しながら、新しく感じて発見した部分はありましたか。
はい、多いですよ。同じものを見ても、昨年と今で感じ方が違うじゃないですか。前はオダ・メイがただ魅力的だと思っていただけで、かわいくは見えなかったんです。今は理由は分かりませんがオダ・メイの行動一つ一つがとても可愛いです。しかし他の俳優たちもこんな話をするのです。年を取るにつれて感じる部分が変わってきて、僕たちが7年前に残念に思った点をこうしてみてはどうかと修正していくこともあります。思っていた時と実際にやってみるとまた違って100%反映されないですが(笑)演技できるように、歌を歌いやすいように少しずつ良い方向に行っています。
 
では2013年にチュウォンが演じるサムと今のサムはどう変わりましたか。
その時は、とても生きていようと努力しました。27歳の僕は、もしかしたら何かをやり遂げることに汲々としていたかもしれませんが、誰よりも欲張りでした。お兄さんたちが上手な部分と僕の上手な部分を分けながら「じゃあ僕はこれで勝負しよう」って自らムチを打ったので。これで勝ってやろうという考え?今は、自分がどんな姿を見せたら魅力があるだろうか、勝てるだろうかを考えるのではなく、サムと似合うだろうか、似合わないだろうかと悩んで試しています。その人にどんな姿があるか決めておくと制限的になるようで、サムを「耐火」させてからできることを尽くしています。7年前とは多くの変化があるのではないでしょうか。
 
サムはどんな男ですか。
若い時に成功し、愛する女性もいれば、家もあるから、とにかく成功した人生ですが、愛的な面では物足りなさがあります。表現できないからです。でも私は理解します。27歳の時には違ったんです。愛してるとどうして言わないの?なんでやらないんだろう?と。でも今はやらないかもしれないと思います。悪い心ではなく、この人の過去に何かがあったかもしれないし、愛が完璧だからこそ言った瞬間に壊れるかもしれないという不安があるかもしれないし…いろんなことを理解するようになりました。重要な事実は死んでも僕の女を忘れずに守ってあげようという気持ちが強いから、最高ですよ!
 
同じ役をチュウォン俳優と一緒にキム·ウヒョンさん、キム·ジヌクさんが演技します。3人のサムはどう違いますか。
ウヒョンさんは見ただけでも頼もしいです。7年前に公演を一緒にやった時期より、今回の練習でお兄さんの魅力がもっと分かるようになりました。モリーをよく守ってくれそうで、何でも引き受けてくれそうな男。反面、ジンウクは初々しいです。7年前に僕がやった時と、  今はジンウクの年が同じです。純粋で、本当に愛一つで生きられそうな男。僕は…少し垢がついていますか?(笑)もっとサムをうまく表現できる適切な年だと思います。自らもその時より成熟した感じがします。ある面で諦めた部分もあるし、舞台から少し下がって楽しもうとする姿勢も生じました。とにかくもっとうまくできそうです!
 
この作品で最も印象的な場面はどこだと思いますか。
最後のシーンです。サムがモリーにこう言います。「愛を持っていけるってことが不思議じゃない?」とても単純な言葉ですが、作品全体のテーマと似ていると思います。僕たちが離れていても僕は君の愛を感じることができる。君の愛を持って行って僕はとても幸せだ。セリフを言うたびに軽くはありません。多くのことを考えるようになります。
 
映画も爆発的でしたが、ミュージカルもとても良い反応を得ました。その理由は何だと思いますか。
いろんな魅力があります。華やかな映像、魔法のような照明、踊りと歌…その中で、私はそうですね。以前は確かにこんな恋の物語がたくさんあったじゃないですか。最近はこういう類の映画が出ないのか、話題にならないのか、あるいは愛の概念が変わったのかは分かりません。僕も「ロミオとジュリエット」、「ゴースト」、「きみに読む物語」などの映画を見ながら、愛はああいうものだと思いました。現実的に不可能なので主人公のようにはできないですが、やりたい気持ち。私が愛する人のために死ぬことができるかと思うとそうだな、分からないんだけど…でも、できることなら、そうしたい気持ちは誰にでもあると思います。この作品は誰もが夢見た愛を見せてくれます。
 
ドラマ、映画、ミュージカルなど、領域を問わず演技そのものに充実した全方位的な俳優だということはよく知っています。この3つのうち、もう少し充実したい分野はありますか。
難しい質問ですが、確かに愛情の差が少し違います。それでも僕が一番純粋な心で面白く演技できる所は舞台です。子供みたいになるところも舞台です。実は、映画やドラマをする時もそうなるかもしれないけど、思ったよりうまくいきません。何か責任を取る感じだと言えば良いでしょうか。主役だから僕が下手だと作品が駄目になりそうな気がするし、多くの人々が寄せる期待感でむしろ僕が楽しめない面もあります。当然のことですが、それでも誰かが「今回、大きな作品に出るんだって。頑張って。」という話を聞くと負担が重くなります。舞台という空間も同じかもしれませんが、みんなで引っ張っていく感じがはるかに大きいです。大きな役柄でも小さな役柄でも、誰一人逃げることなく、自分はこの作品がうまくいかなくてもかまわないと言われたことも、そのような気持ちを感じたこともありません。幸せに演技した空間は舞台です。
 
 
それでも映画であれドラマであれ、作品が公開されれば、翌日から演技の褒め言葉が絶えないじゃないですか。(このような褒め言葉が恥ずかしいのか、チュウォンは笑いながら頭を下げた)相変わらず演技が面白いですか。
最近はもっと面白くなりました。(なぜですか?)やりたいようにするから。以前は顔色をうかがって、このようにすれば演出家さんが喜ぶだろうか、監督が嫌がっているのではないかと先にあきらめたので、試してもみなかったんです。最近はとりあえずやります。「それはおかしい!」と言ったら「そうなんですか?」と言って、いろいろなことを試みます。確かにいい場面が出てくると思います。私はバラエティーな人ではないので、家に泊まって運動するのがすべてです。演技は私の感情を完全に使える時間のようです。腹を立てようが、涙を流そうが。だからむしろ演技している時に生きていることを感じます。
 
演技は生まれつきだと思いますか、それとも不断の努力の結果だと思いますか。
もちろん生まれつきの人もいるでしょうが、努力して駄目なもののようではないです。演技が上手だという先輩たちも成長のためにずっと動いていて、私もリハーサルに入る度に今日は何を気にしなければと考えることがあるんです。そうすると確かに成長する部分があり、もし失敗しても過程を通して得られるものがあります。
 
演技のための努力を台本の中で探す方ですか、それとも経験や日常から探す方ですか。
公演をしない時は外で探して、公演をする時は絶対に他のことは考えないです。サムがモリーに愛していると言えない場面を読むとき、僕の友達を思い出しました。普段表現をたくさんする友達なのに大きく傷ついてからは感情表現ができないんです。そういう友人の経験を作品に代入させる反面、リハーサルの時はちょうどその場面だけ考えます。正解はないですが、他の感情が入ったら僕は邪魔になるんです。
 
運動、楽器、歌、ダンスなど演技のために時々準備しておく方ですか。
そうすればもっと素敵な人になるでしょうけど(笑)残念ながらそうではないです。僕は一日一日忠実に生きています。実は色々考えるし、すごく心配するタイプなので、何も起こってもいないことを考えて悩んでいます。私がすることではないのに、何度もチェックして、お節介いしてストレスも多いです。
 
前に20代で見せたい自分と30代で見せたい自分がいると話したことがありました。20代と今、自分はどう変わったと思いますか。
視聴者や観客に見せたい姿は同じです。変わらない姿を見せたいんですが、それが思ったより簡単ではなかったんです。20代は本当に忙しく働きました。惜しい部分を今僕はとてもよく分かっているので若い頃追われながらやって来たこの作品をこれからは急がない姿で楽しい姿でお見せすることができると思います。
 
「人の匂いがする俳優」になりたいといつも言ってきました。今は、自らどんな俳優だと思いますか。
人の匂いが何の匂いなのか正確に分かりませんが、自分がこんな人間だったのかを考えているのと、考えていないのとでは違うと思います。自分自身を失っていくような感じがしたら、元に戻そうとするだろうし、考えなければ、そのまま進み続けるでしょう。僕も一時変わらなければならないと思ったことがありました。変わってこそ僕が少し楽で、他人がもっと認めてくれるようで、言葉を少し冷たくするとむしろ人々が待遇してくれるようで、善良に振舞うと損をするようで、変わるのが正しいようだという考え。結局、あるきっかけを通じて原点に戻るようになり、そうだ、ただこのまま生きようになりました。他の人のように振舞うのは無理だし、ストレスをもっと受けるから。いいと思ったのに、それが私を失っていくようだから。また取り戻した本来の姿をずっと維持しようと努力しています。相変わらず10点になったり80点になったりしますが!
 
記事・写真:theatreplus
 
出典:https://m.post.naver.com/